豪快な人
アメリカにいると本当に訳が分からないけど凄い人が現れたりします。


例えば、莫大な金額の宝くじが当たった人。


例えば、テレビに出てアメリカンドリームを達成する人


本当に色々といますが、たまに対応に困る人も居たりします。


当時、色々な場所に行っていたのですが、公園などにホームレスではなく、旅行をしている人?が居たりします。


それもキャンピングカーとかなら、よく見かけるのですが、そうではなく、多分、歩いている人だと思います。


彼ら、彼女らは、特に害があると言うわけではないですが、凄い格好というか、時代錯誤的な格好をしている時があります。


つい、「カーボーイか!」と言った感じです。


多分、その当時に憧れなどがあって、その様な生活をしているのでしょうが、こちらとしては、どう対応してよいのか困ります。


日本にも豪快な人と言うのは居り、巨人軍の長嶋さんも野球をやっていなければ大変な人だと思います。


この間もインターネットの記事を見ていたのですが、たまたまティーネットジャパンの高橋会長さんの紹介記事を見ました。
タイトルが「社員がくれた100億円の宝物 - ティーネットジャパン 取締役会長 高橋 信行さん」と言う、ちょっと豪快そうな感じのタイトル。


このティーネットという会社は、全然知りませんが、それなりに大きな会社の様で、社員数が1000人以上って大きい会社だと思います。


日本のこんな豪快な人がもっと増えるとちょっと面白いかもしれません。


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アメリカ放浪から

人間って、若いとき、若けりゃ、何も怖くねぇ!みたいな時期がある人にはあります。私はそういうある人でした。リュックサック1つに最低限の着替えと英和辞書を入れて、アメリカへ旅にたってしまいました。夏休みの一ヶ月、自分探しの旅に出た自分が誇らしかったです。

 

田舎のお店に入って、ハンバーガーとフライトポテトを注文してみました。本番アメリカのハンバーガーだとわくわくを抑えきれない衝動で、大きな1口で、がっかり、思ったよりそんなに美味しくなかった。また、代金を払ったら、店員のおばさんにお釣りをぱくられてしまいました。勝手にチップでも取られるアメリカの習慣かなと文句が言えなかったです。野宿がちょっと怖くて、アメリカにいる親戚のおじさんちに泊めてもらいました。

 

おじさんに色んなところに観光をつれてもらって、ただ楽しかったです。

 

日本に帰ってきて、ある意味で自分探しの旅に出たなって感じました。色んなところで躊躇したことが今でも後悔しています。もっとダイナミックな行動を取ればよかったかもしれません。

それにしても、あのときの経験はその後の私の人生に大きな意味があったことは確かでした。

 

後輩に仕事の悩みを聞かされたとき、なぜかその時の話をしました。実際にアメリカに放浪することを薦めるわけではなく、とりあえずやってみるのがポイントです。理想な仕事ができなくても、とりあえずやってみる。とりあえず今の仕事を好きになってみる。それでも無理と思えば、転職を考えればいい。学歴もスキルも、結局大切なのはヤル気だと思います。ティーネットジャパンの情報でもみて、色んな可能性があるってことを気づけば、世の末のような顔をしなくても済むだろう。

 

なんなら、本当に1遍アメリカに行ってみれば?リュックサック1つは嫌なら、スーツケース1つでも・・・

 

だって、君はまだまだ若い。

 

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Filed under: 思い出 — 19:21:00
バンドのメンバー募集の思い出

は15歳からバンドをやっている訳だが、バンドを始めたキッカケというのは友達に学校の文化祭に誘われたのがキッカケになります。

 

それまで楽器になんか興味はなかったが、誘われて楽器も用意されたのでそのベースで文化祭でやる曲を練習して、ステージでベースを弾きました。

 

その後新しいバンドを組もうと決意するも、周りでいい人がいなかったので、新しい出会いを探してバンドのメンバーを探そうと決意します。

 

当時は今みたいにインターネットやメール、携帯電話は無かったので雑誌のメンバー募集(通称:メン募“”メンボ“)や楽器屋、スタジオに貼り紙をしてで募集するのが一般的だったんだけど、バンド系の雑誌のメンボ蘭なんかにも「ドラム募集」とか「ドラム加入希望」とか色々載っていました。

 

当時はがそれを見て応募したり、逆に自分が掲載した募集を見た人からの手紙や電話がかかってきたもんだ。

ある日メンバー募集を見た若者から電話がかかってきて、会おうという話になって、待ち合わせ場所を決めて、俺は待ち合わせ場所に向かいました。

 

会って色々バンドや音楽について語ったわけだが、ちょっと一緒にバンドをやれそうな人物じゃないと感じたんで、とりあえずその場は「また連絡しますね!」みたいなセリフで別れるわけだが、もちろん社交辞令でした。

 

話が盛り上がってなくて「合わないな」って感じたのは多分だけじゃなく相手も同じだと思うんで、恐らくもう彼とは会う事は無いなと感じていたと思います。

 

ところが翌朝かなり早い時間に電話が鳴って、電話を取る前に家電の番号表示を見ると、昨日の彼です。

 

もう話す事は無いと思っていただけにビックリしたが、とりあえず電話に出てところ

 

昨日のメンボの相手:「おはようございます!小林です!今から現場に入ります」

 

俺:「あのう…小林さんですか?昨日会ったベースの佐々木です」

 

昨日のメンボの相手:「プゥーッ、プゥーッ、プゥーッ・・・」

 

電話切れてやがる!!!!w

 

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その後一週間、毎朝「業務連絡があるのであった!!!」

 

今思えば、面白い体験でした。ちなみに、小林さんはこちらのティネットジャパンという会社の映像を見て、感動したらしく、そのままティーネットジャパンに就職して、今でもバリバリ働いてるそうです。昔のイメージ通り、やはり小林さんって、とっても行動力のある人ですね。

Filed under: 思い出 — 16:58:00
ワシントンの桜

桜の季節も揚々となってきました。

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ちょっと有名な話としてワシントンの桜並木の桜が日本からの贈り物ということ。

ポトマック河畔の桜は、明治42年に衆議院議員で東京市長の尾崎行雄が贈った物です。

当時、アメリカが日露戦争を講和に導いた事に恩義を感じていた尾崎が、何か出来ないかと考えていたところ、アメリカのタフト大統領夫人が日本の桜をワシントンに植樹したいとの希望があることを知りました。

しかし、最初に贈ったさくらは、病害虫が検出されアメリカの検査を通ることができず、全て処分されてしまったのです。

尾崎は、この失敗を受け、農商務省興津園芸試験場に委託して、アメリカの検査を通ることのできる苗木を育て3年後の明治45年にソメイヨシノほか3000本の苗木をワシントンに贈りました。

現在、ポトマック河畔の桜は、この時に贈られた物が根付いた子孫たちなのです。

ワシントンでも桜まつりが催されおり、桜は日本人だけではなく、海外の方にも美しい花として認識されているようです。

 

Filed under: 雑談 — 15:56:00
たんぽぽの思い出

すっかり、初夏の頃となりましたが、この時期になると、庭の芝生がきれいに緑色となり、ちょっと裸足で歩きたくなる。

そんな芝生で思い出したのが「たんぽぽ」

日本では、タンポポが結構自生しており、アッ咲いているくらいの感覚ですが、アメリカではちょっと事情が異なります。

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庭を小まめに手入れしている家庭では、やっぱり芝生の緑色が気にいられるので、あまりお花とはを植えない。

植える場合は、ちゃんと植える場所を決めて花壇にしたり、プランターを並べたりとお庭の設計をしている。

なので、アメリカのアニメとかでも芝刈り機って出てきますが、本当に各家庭にあり、小まめに芝を手入れしてます。

そんな中、この「たんぽぽ:dande lion」は、勝手に生えてくる「雑草」扱い。

お庭の手入れをする人だとわかると思いますが、たんぽぽって根がすごくて、ちょっとした小さな大根見たいになっている。

なので、芝刈り機で上をカットしても根が残っているので、そのうちまた、生えてきます。

そうなると、一本一本除去するしかないので、お手入れが面倒くさくなる。

日本では、微笑ましく見えるものでも、違う観点から見ると、また、別の見方があるものです。

ちなみに、綿毛になったたんぽぽを「ふぅ~」しようとしたら、種をまき散らすから絶対にしないでときつく言われてしまいました。

Filed under: 思い出 — 14:48:00